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なんでユーフォなんか始めたのかな? もう遥か昔ですが、某天王寺商業高校の入試の発表の日、合格を確認した
厚顔
( 紅顔かな?)の美少年は音楽部の部室に行ったのです。 |
我が師匠
三浦徹先生
昭和58年1月、ヤマハ合歓の郷での師匠との出会いがなければ今の私は
存在しないといっても過言ではありません。それまでの私は楽器を吹いてはい
ましたがユーフォニアムを吹いてはいなかったのです。高校一年から先輩もい
ない状態で我流で吹いて15年、初めて受けた専門的なレッスンで先生から指
摘されたことそれは「ダメだね。」の一言でした.。とにかく何から何まで全部ダメ
で、ロングトーンはもちろんスケール、タンギング、リップスラーどれ一つマトモな
ものはありませんでした。先生は「長い時間かけてとても悪い癖がついているね。
直すのが大変だよ。」と優しく言われましたがその時の私のショックは言葉では
表現できないほどの大きさでした。その時私は既に30歳、寝られない一夜を過
ごした翌日私は思い切って先生にお願いしました。
「レッスンしていただけませんか?」
先生はいとも簡単にこう言いました。
「東京まで来るなら見てあげるよ。」
そこから今の私という一応のユーフォ吹きの人生が始まったんです。
東京へは先生のお宅(その頃は荻窪のマンションでした)へお邪魔する前に、
我が社の東京支店で練習させてもらってからレッスンを受けていました。先生は
かなりひねた初心者の私にそれこそ手取り、足取り、丁寧にしかも長時間教えて
下さいました。私は基本練習の大切さをしっかりと実感できました。
ですから私は本格的にユーフォニアムを吹きだしてまだ20年になりません。
まだまだ、ユーフォ人生は先が長そうです。いつまでも師匠に教わった事
「持続は力なり!」
を忘れず心を込めた演奏を続けたいと思っています。
ユーフォニアムを通じて34年
北出浩一氏(北出音楽事務所代表、三木ウインド団長)
北出氏と私の最初の出会いは私が高校(天王寺商業)に入学してユーフォニアムを
始めてすぐの1968年の春でした。
当時北出氏は蒲生中学の1年生、ユーフォニアムを
始めたばかりでした。
たまたま中学校の顧問の先生が天商の2年生と親しかったので
生徒を連れて私の高校へ遊びに来たのです。それから同じ楽器をやっているという理由
だけで付き合いが始まりました。そしてお互いが3年の時、共に関西コンクールに出場
する事が出来ました。
高校を卒業して2年目しばらく連絡をしていなかったのですが、私が大阪市内の一般
バンドに見学に行ったところ彼は既にそこのメンバーでした。府立工専の2年になって
いた彼は目を見張るほど上達しており、ちゃんと自分の楽器まで持っていたのです。
そのバンドでは2年間一緒に吹いていました。
その後彼は中学のOBバンド(今の蒲生ディストリクトバンド)を立ち上げるため退団
していったのです。
昭和55年の梅雨の頃、彼から電話があり
「ユーフォニアムばっかりでアンサンブルやりませんか。」
この電話が今のEふれんず(大阪ユーフォニックサウンズ)創設のきっかけとなったのです。
当時の大阪府音楽団(服部緑地公園内)の練習場に集まったのは男八名。
今から考えると20年も続くとは誰も考えていなかったと思います。
現在、氏とは13年以上同じバンドで活動している仲間ですが氏は若い頃とまったく
変わりない情熱とバイタリティを保ちつづけています。その若さは驚くばかりでいつまでも
一緒に演奏を続けていけるのではないかと思っています。私も負けないよう頑張ります。